一生懸命何かを作ることの大切さについて

どうも、タクロウです。

最近はコスパについて改めて考える機会がありました。

と言いますのも、高校生の部活や、大学生のサークルは多くの学生がやっていますが、とてもコスパが悪いのではないかと、最近は考えておりました。

そのため、高校生の頃、部活動をしていた時間は何だったのだろうと悔やんだり、サークルに没頭している人たちはちょっとどうなんだろうと懐疑的な立場になっていました。他にもっとするべきことや、楽しいことがあるのではないかと考えていました。すみませんでした。

そんな中、先日、私が一応所属していながらも、最近は、ほとんど幽霊化しているサークルのライブを見に行きました。そこで私は心をぐわんぐわんと揺さぶられました。サークル員の端くれとして、楽しめればいいなと軽い気持ちで行ったライブでしたが、ライブを見て私はとても感動していたのです。ステージに立っている同期のメンバーをはじめ、サークル員たちの姿は、まぶしいくらいに輝いていました。

思い返せば、昨年の3月にもサークルのライブを見に行き、その時もとても感動したはずだったのですが、自分の置かれている状況がそれどころではなかったということもあり、忘れてしまっていました。

こうした経緯があって、さらにもう一度思い返してみると、自分も高校生の頃に所属していた吹奏楽部の定期演奏会では、演奏や演出の細部に至るまで、力を合わせて少しでも良くしようと汗を流した経験がありました。その時の定期演奏会をやり遂げたときの達成感は、今の私の中でも、大変だった思い出とともに強く心に残っています。

そんな経験があったからこそ、今回のサークルライブでのパフォーマンスには感動するものがありました。たった2時間程のステージのために、それまでの莫大な時間を費やして練習しなければいけないのはコスパが悪いという考えは、ステージに立ったことがない人の浅はかな考えだったなと思い改めました。莫大な時間の練習や試行錯誤の成果は、確実にあの2時間の中に表れていました。その努力の結晶に対して、私たちは感動するのですね。

当日、一緒にライブを見ていた友人が「やっぱり勝てないか」と言ったのも、非常に共感しました。彼も私と同じような経験をしているはずなので、いろいろと思うところがあったのでしょう。

さらに感じたことは、たくさんの人が力を合わせて何かを成し遂げることの素晴らしさです。たくさんの人の中にいると自分の存在価値を考えてしまうことがあります。自分がいなくても、適当にやっても何も変わらないんじゃないかと思う人もいるかもしれません。特に、活躍の場が少ない人は尚更だと思います。

しかし、私が感動したあのステージは、あのメンバーだから完成していたんだということを伝えたいです。これは自分が出演者としてステージに立っていても気づかないと思います。2年前に出演したときの私がそうでした。観客席から客観的に見てみないとわからないことなのかもしれません。

観客席からは出演者全員の顔が見えます。私はあのステージに立っている人、漏れなく全員に対して感動しました。出演者の皆さんにはあの素晴らしいライブを作り上げたメンバーだということを誇りに思ってほしいです。

ライブにはグレイテスト・ショーマンのステージがありました。私は映画を見ていたので、映画の内容も思い出しながら、ステージを見ていました。グレイテスト・ショーマンは大きなコンプレックスを抱えた人たちが、そのコンプレックスを武器にして活躍するというストーリーです。コンプレックスを逆手にとって活躍する姿や、大きな挫折を繰り返しながらも何度でも立ち上げる姿は、いろいろなものと重なりました。

このような感じで、本当はライブ後に直接出演者の方々に伝えたかったのですが、花道を通るのが非常に照れくさいので、そそくさと帰ってしまいました。ごめんなさい。

出演者のみなさま、お疲れさまでした。

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