今回は、私たちの周りにいる他人Aさんについて書こうと思います。他人Aさんとは、あなたの周りにいる、自分とは関わりのない、全くの他人のことを指します。
突然ですが、あなたは今、周りにいる他人Aさんの置かれている状況について考えたことはありますか。
もちろん、私たちは、自分と近い人については考えると思います。友人は何故あんなことを言ったのか、親は何故あんなに起こっているのか、といった感じです。このように、いかに相手の気持ちを考えられるかと言うことが、円滑な人間関係や、社会生活を営む上で、最も大事な要素だと思います。これは、多くの人が意識していることだと思います。
では、自分と全く関係のない他人についても同様に考えますか。何故あの人はぶつかっても謝らなかったのか、何故あの人はルールを守らないのかと言う具合に。
かくいう私も、これまであまり考えたことはありませんでした。あらゆる他人Aさんを見た目や、行動だけで判断していました。そして、その自分が目撃したわずかな情報だけで、苛立ち、腹立たしさ、時には羨ましさなど、良い悪い様々な感情を勝手に抱いていました。
最近私は気付きました。他人Aさんは、人それぞれ十人十色のバックグラウンドがあるのだと。これまでの私は、自分と何の関わりもない他人は、ロボットのような存在で、自分のような生身の人間とは違うものであるという認識をしていたのかもしれません。
逆の立場になって考えましょう。もし、自分が相手に害を与えてしまって、そして、それどころではなかった時、私たちは何だかんだ理由を付けて、相手のせいにしてしまいますよね。その場合、恐らくその人に全く悪気はないと思います。
例えば、イライラしている時、車を運転していて、前の車が低速で走っていたら、カッとなって、煽ってしまったり、強引な追い越しをしてしまったりすることがあると思います。後になって考えたら、前の車は遠くから来ていて、場所を探していたのかもしれません。前の車の人からしたら、とてもびっくりすると思います。しかし、その時の運転手はイライラしていて、のろのろ走っているから前の車が悪いとしか思えないのです。
では、自分が害を受けた時の話に戻るとして、なかなか難しいことだとは思いますが、相手の状況を理解してあげようと、意識するだけでも全然違うのだと思います。
あの人がぶつかっても謝らなかったのは、家族が病院に運ばれたと聞いて、とても急いでいたからかもしれません。あの人がイライラしているのは、今朝、家族と喧嘩してきたからかもしれません。
相手が何を抱えているのかは、見た目ではわかりません。しかし、誰しも大なり小なり何かを抱えています。相手が今、どんな状況であるかわからないなかで、何をされても、何があっても温かく許容できるような、広い心であるというのは人としてのあるべき姿だと思います。
いつもこれができるのは、仏のような心を持った人だけだと思いますが、気がついたときに実践できたら十分だと思います。思いやりの溢れる、いい世界にしましょう。
それでは、また!!
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