こんにちは、昨日から又吉直樹『火花』を読み始め、今日、先ほど読み終えました。
笑いとは何か、お笑い芸人とはどうあるべきかに真剣に向き合っている2人の芸人の10年が描かれており、とても考えさせられる作品でした。
特に印象に残った2つの場面があり、ひとつは、真樹に新しい男ができて、神谷と徳永で真樹の家の荷物を取りに行くシーン。真樹の好意に気づいていながらも関係性をはぐらかしてきた神谷の後悔と、別れを決めた真樹の決意が表現されていて、針を刺すような緊張感の中でもこれまでのようにお笑いを演じ切る2人と、その場にいる徳永のつらい気持ちを考えると心がいたたまれなくなりました。真樹もとてもつらかったと思うし、神谷もその後の荒れ具合からしても相当なショックだったのだと思うと自分の事のようにつらい気持ちになります。
もう一つは、神谷のパーソナリティについてです。物語で描かれている神谷は、フィクションだと思いますが、芸人の世界にはこのような人がたくさんいるのだろうなと思いました。お笑いというフィルターを通してしか、物事を認識できなくなってしまう没入感や、生活を犠牲にして全てをお笑いに捧げてしまうことができてしまう社会性の無さ。グレーゾーンと呼ばれる人の生きづらさ、周りと馴染めず、社会の中で浮いた存在になっていく姿がとてもリアルに描かれていたと思います。
小説家の人が純文学を書いていると当たり前のように感じてしまいますが、お笑い芸人ピースの又吉が書いた小説だと思うと衝撃を受けます。情景描写や心情表現、哲学など改めて、純文学を書くことができる作家はとんでもない文才と深い思慮があるのだなと再認識しました。又吉直樹の作品をまた読んでみたいです。
ではでは
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