生産性の低い1日に萎える

どうも、金沢のたろうです。

突然ですが、今現在(2018年11月17日19時51分)何かにとても萎えています。

思い返してみても、こういうことは珍しくありません。

法則制があるとすれば、一日の終わりにこうなることが多いです。

さらに、その一日を振り返って何もしていないという反省が残るような日のおわりに特にこうなる傾向があります。

私は恐らく、とても意識が高く、常に何かを生産する、もしくは何かを身につけなければ、罪悪感と言いますか、何か大切なものを浪費してしまったような気がして、強い後悔に駆られるのです。

逆に、今のように萎えていない、普通の日にも今日のように生産性が低かった一日はたくさんあると思います。しかし、そんな日になぜ萎えないのかというと、それは恐らく、同じように時間を浪費している人をたくさん見ているからなのでしょう。

例えば、自分と一緒にしゃべっている人は、自分と同じようにしか時間を使っていない。友達としゃべることが時間の浪費だとは思っているわけではありませんが、自分と同じようにしゃべっている相手は、その時間をそれ以外の他に何も生産せずに過ごしているという安心感があるのかもしれません。

一方、今日のような日には、自分が何もしていない間に、他のみんなはもっと有意義な時間の使い方をして過ごしているのではないかという、敗北感と言いますか、切迫感?いや、強迫観念?いや、解説すると、自分が浪費した時間で、他の人との差が大きく開いてしまっているのではないかという恐怖や焦りに近い感情が生まれるのです。それが、この、萎える原因なのだと思います。

これを解消するためにすべきことは、単純に2つあります。ひとつは、誰よりも有意義な時間の使い方をしたと言えるくらいに、時間を上手に使うこと。2つ目は、自分と同じようにろくでもない時間の使い方をしているひとを見つけて、安心する。どちらが良いのかはわかりませんが、1つ目の方はなかなか難しいだろうとは思います。相手は見えない敵ですから。

思いのままに書き記していたら、15分間でここまで来ました。早いですね。レポートもこのスピードで書ければ、A4用紙1枚を20分くらいで終わるんでしょうね。ああ、ありがたや、ありがたや。

以上(2018年11月17日20時6分)

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