金沢での生活を終えて(退去日に思うこと)

大学4年(2019年)

どうも、お久しぶりです。金沢大学4年のタクロウです。

本日、2020年3月19日をもちまして、私の金沢での生活が終わりました。

先ほど、アパートの退去手続きを終え、今は高速バスの中です。車窓からの風景を眺めながら、もの想いに耽っていると、金沢で出会った人々を思い出しては、もう、その人たちが近くにいないのだと考えて、心に込み上げてくるものがあります。

今日、この日に金沢を旅立つということはずっと前から決めていたのですが、ここ1週間ほどは特に何を想うでもなく、これまで通りの日常を過ごしていました。ですが、昨日、今日と、部屋の片づけをしていくにつれて徐々に、金沢での生活が終わってしまうという実感が湧き、どうしようもない寂しさが押し寄せてきました。

部屋のものを一つ一つ捨てていく時に感じるのは、4年間の思い出を自らの手で葬っている感覚でした。全てのものを持って帰るわけにもいかないので、思い切ってたくさんのものを捨てなければなりません。この行為は私にとってはすごく残酷で、心が痛みました。でも、部屋が片付いて良いこともありました。部屋からものが完全に無くなった景色は、私が4年前に見た時の部屋の姿でした。4年前にこの部屋に来て、ここから大学生活が始まるぞ、と意気込んだ気持ちを思い出しました。あれから4年が過ぎ、今、自分が感じているこの気持ちは、間違いなく4年前の自分にも誇れるものだと思います。

金沢から実家への帰省の時はいつも往復切符を買っていたのですが、今日買ったのは、片道切符です。大学の授業があるわけでもなければ、住む家もないので、どうしても金沢へ戻らなければならない理由は無くなってしまいました。

いま想像して寂しく感じるのは、明日の朝目覚めて、目の前にあるのが見慣れた天井ではないということです。部屋を見渡しても、4年間の思い出がたくさん詰まったものは一つもありません。外に出ても、大好きなまちの風景ではありませんし、LINEをしても友達をご飯や遊びに誘うこともできない。仕方のないことですが、今はとてもツラくて、その現実を受け止められません。

思い出して、寂しくなったり、悲しくなるのは、その人にとって、本当に大切なものだったからなのだと思います。私は、その気持ちを感じられただけで、金沢で4年間を過ごせたことを心から良かったと感じます。寂しい気持ちは計り知れないほどですが、それと同じくらい、金沢での生活の全てに感謝しています。楽しい4年間をありがとうございました。

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